その細やかな観察眼では業界一、二を争うモータージャーナリストの島崎七生人さんが、話題のニューモデルの気になるポイントについて、深く、細かくインタビューする連載企画。第30回は日本が世界に誇る小型オープン2シーターの「マツダロードスター」。2021年12月の商品改良で追加された軽量バージョン「990S」と、運動学に基づいた車両姿勢の制御技術「KINEMATIC POSTURE CONTROL (KPC・キネマティック・ポスチャー・コントロール)」が話題です。お話を伺ったのはマツダ株式会社 車両開発本部 操安性能開発部 上席エンジニアの梅津 大輔(うめつ・だいすけ)さんです。
横転しないシトロエン2CVの秘密
島崎:990kgの軽量ボディとお聞きして、もしスパルタンなクルマだったらどうしよう、自分の腰は大丈夫か!?と内心ドキドキしながら今日の試乗会に出席したのですが、気持ちよく走ることができました。
梅津さん:ありがとうございます。今までロードスターは、ヒラヒラと軽快でしなやかな動きを日常域で楽しんでいただくことを目的に作ってきました。その背反として、追い込んでいくとちょっと頼りないよね……という面が初代からずっとありました。そこを両立させた初めてのロードスターになったかな、と我々は思っています。そのために1gも重量をかけずに工夫をし、バネ上の浮き上がりを抑制するところが何よりも大事なポイントだと考えました。
島崎:浮き上がりを抑制する、ですね。
梅津さん:はい。浮き上がりとは何かというと、専門的には“横力(よこりょく)ジャッキアップ”といいます。ロールセンター軸が地上にあるクルマが大半で……。
島崎:ほうほう。
梅津さん:地上にない珍しい例はシトロエン2CVくらいで、あのクルマは地上ではなく地表にロールセンター軸があるため、いくらやっても転ばないんです。
島崎:ドゥ、2CVですかぁ。あの、どんなにヨロけて傾いた姿勢でも沈み込んでいってタイヤが路面に吸いついて最後まで離れないような独特の感触はなるほどそういうことなのですね。
梅津さん:ええ。で、普通のクルマのロールセンター軸は地上にあるのでロールしていくと必ず浮き上がる。ロールに伴ってジャッキアップしていく。ロールが大きい、怖いと、よく皆さんが言うのが何か?と研究していったときに、実はロール角そのものではなくて浮き上がりがポイントだと、バネ上の姿勢にこだわる我々マツダとしてはそこがよくわかってきました。
島崎:追求した結果、ですね。
たった3mmが与える安心感は大違い
梅津さん:今回のKPCでは、3mmの浮き上がりを抑えたのですが、たった3mm?と仰るかもしれませんが、この3mmはトータルストロークから考えると実は無茶苦茶大きいんです。
島崎:なるほど。
梅津さん:ニュルブルクリンクの郊外路を100km/hで走った時の、横Gが0.45Gの車体の姿勢を表わすデータでは、制止状態に対して旋回中は内輪が浮いて外輪が沈みますが、サスペンションのストロークでいうと、だいたい30mm程度で動いています。その中で3mmというと10%なので、効果としては非常に大きい。ロール角ではなく、面と考えて地上からどれくらい離れているかということですが、車体中心の上下動でみるとKPCがないと1.5mm浮いた状態になり、KPCがあると車体全体を引き下げ1.5mm沈んだ状態になる。乗員のヒップポイントの近くが浮いているか浮いていないかの大きな違いになるので、たった3mmといっても、乗って感じていただけるのはそういうカラクリなんです。
島崎:浮いてるか沈んでるかの違い。
梅津さん:たとえばレーシングカーならストロークはもっと規制されていますから、3mmの効果はもっと大きくなる訳です。それくらい繊細で、浮いているかどうかの大事なポイントになっているんです。ロール角よりも“ヒーブ”と呼ぶ“浮き”を引き下げたほうがより安心感に寄与する。それをシンプルにやっているのが今回ロードスターでやったことなんです。
島崎:で、何か機構を追加して、車重を増やすことは1gもしていない。
ロードスターレースのことも考慮した設定
梅津さん:ちなみにスイッチ操作でDSC(ダイナミック・スタビリティ・コントロール)とTCS(トラクション・コントロール・システム)がオフにもなります。するとKPCが使っている、ブレーキを単独でかけるシステムも停止します。本当は別のスイッチにしたかったのですが、そうするとお客様に余分なコストを強いることになるので、今回は共連れにしました。パーティレースやロードスターカップのレギュレーションを変えずにイコールコンディションにしたかったことと、ジムカーナで車高を下げたり、強いダンパーやブレーキを使ったり、LSD(リミテッドスリップデフ:差動制限装置)を変えたりしても、KPCはすべて吸収する設計になっているためです。モディファイされるクルマなので KPCの設計にあたっては、お客様の楽しみを奪わないように、しっかり確認してきました。
島崎:ロードスターでは大事な考え方ですね。
梅津さん:ただ唯一、サイドターン用の超強力なメタルパッドだけは、とてつもないミューなので、あれでKPCを作動させると0.1秒を争うジムカーナでは若干だけ走行抵抗になってしまい、KPCがないほうが速いケースもあるので、オフにする状態を作りました。
島崎:そこまで考えているのですね。
梅津さん:そうですね、自分自身もパーティレースに出ているので、いろいろ考えました。将来的には独立してDSCとKPCを分けてオン/オフするようにできれば、競技でもより活用していただけるかなと考えています。KPCの技術の確認のために、開発中にニュルを300ラップくらいしていますが、やはりアンジュレーションのある路面では効果抜群で、“踏める”ようになります。
島崎:300ラップとは!走り込んでいらっしゃいますね。
梅津さん:もちろんその時にいろいろなハイグリップタイヤを履いたり、ブレーキパッドやサスを変えたり、LSDを変えたりしましたが、KPCのシステム自体は、左右の車輪速差、回転差のみでブレーキの掛け方を決めるようになっています。なのでドライバーの操作がどうかとかは関係ないので、これまでのトルクベクタリングなどとはまったく違う、ちょうどLSDのようなメカニカルなものになっています。人の操作を検知してどうこう……ではない分、極めてナチュラルな作動が実現できているんです。
島崎:確かにステアリングフィールにしても何か違和感がある訳でもなく、自然で安心感が増しているように感じました。
梅津さん:ありがとうございます。リアサスがしっかりしてくるとステアフィールもしっかりさせられますし、KPCはアンチリフトが主な効果ではありますが、制動でもマルチリンクのブッシュのたわみがとれ、ある一方向にしっかり固定されることもあって、スッキリした感じになっていると思います。
バネ上を理想的に動かすことで乗り心地もよくなった
島崎:それにしても“3mm”のお話もですが、試乗して、乗り心地がとてもなめらかになったなぁと感じました。それはクルマ自体の無駄な動きがなくなったからですか?
梅津さん:やはりロールに伴う浮き上がりが収められると不安感もなくなるので、圧倒的に乗り心地がよくなった感じがあると思います。ピッチング方向の動きが収まれば、同乗者の方も雑味のない乗り味は感じられると思います。実は乗り心地は、当初必ずしも狙った訳ではなかったのですが、副次的な効果で、バネ上の安定化が出たのだと思います。平面方向に、ヨー方向にクルマをどう動かすかに注力されるメーカーさんもいらっしゃいますが、我々はバネ上の姿勢が人馬一体感に与える影響が凄く大きいと思っています。なのでバネ上もいかに理想的にキレイに動かすかは、マツダ独自のポイントです。
島崎:タイヤは新規開発ですか?少し前に最新のCX-3を暫くお借りしたのですが、乗り心地が劇的によくなったと感じ、タイヤも違うんじゃない?と思ったのですが……。
梅津さん:ロードスターに関しては、タイヤは2015年に発表して以来、何も変えてないです。乗り心地、ダイナミクスを含めて、トータルで質感を上げていくところに今回のKPCは寄与できたのかなと思います。
後輪駆動にはKPC、前輪駆動にはGVC
島崎:その方向性は、今後のマツダ車で横展開されていくことになって、梅津さんはますますご多忙になるということですね?
梅津さん:KPCに関して、ロードスターには制動姿勢を安定させるためにもともとアンチリフトジオメトリー、リアサスペンションのアンチリフト、アンチスクォート角はしっかり付けていました。それを上手く活用した訳です。今後はKPCを前提としたリアサスペンションの設計をやっていくことになります。これから出る縦置きのラージプラットフォーム、CX-60、70、80の導入を発表していますが、これらは後輪駆動ベースになるので、サスペンションをアンチリフト構造に作って効果を出すということをやっていきます。
島崎:今後のマツダ車の走りのキャラクターの核になるのがKPCということですね。
梅津さん:駆動形式、サスペンション形式に合った上手いシナジーのとりかたはあると思います。今回ロードスターでは、リアサスペンションのアンチリフトを活用するのが一番効率的で合理的だった。GVC(G-ベクタリング コントロール=高い操縦安定性を実現するためのマツダ独自の制御技術)は前輪駆動のパッケージに非常に効果的です。やっていることは、バネ上の理想的な姿勢を作り、人が安心できる、かつわかりやすい立体的な動きを質感高く作っていく……ということでは同じゴールを目指しています。
島崎:前に前に進んでいるのですね。
自由度の高いEVになればもっと独自性を出せる
梅津さん:アクチュエーションの進化もポイントです。今のクルマではHU(=ハイドロリック・ユニット)の制約がありますが、これがたとえば将来的に電動キャリパーを各輪に付いた電動ブレーキにするとかであれば、可能性はもっと広がります。モーターカーになれば、駆動力、制動力を使ったバネ上の制御もいろいろできますから、いろいろ考えたいなと思っています。いずれにしてもマツダ独自の目指すところはやはりバネ上の動きのわかりやすさ、ロールしながらも安心感が高くて楽しい動き。そこを磨いていきたいと考えています。
島崎:梅津さんには以前から電動車のパワーコントロールの可能性はいくらでもある、とお話を伺ってきましたね。
梅津さん:モーターカーになると、もっとメーカーのダイナミクスに対するフィロソフィが出てきます。どういう風にダイナミクスを組み立てるか自由度が増す分、しっかりとデザインしなければいけない。そうするとキャラクターが出てくる。MX-30のEVモデルは我々の最初の答えで、独自性が出ていると思いますが、たとえば三菱さんはAWCで駆動力を使って平面運動をやっている。我々とは好対照ですが、それぞれのやりたいことの差が出しやすい。お客様にそういう違いを楽しんでいただけるようになればいいなあと思っています。
990Sはかつてのスポーツカーが持っていた乗り味を実現できた
島崎:ところで990Sのレイズのホイールは軽そうですね。
梅津さん:純正ホイールに対して1本あたり約800g軽くなっています。
島崎:スッキリとした乗り味にも貢献しているのですね。
梅津さん:トータルでバネ下の軽量化ができていますが、990Sはとにかく軽薄な乗り味にならないようにしました。具体的にはベースのSに対してスプリングは少し硬めで、ダンパーは伸び側の減衰力を少し緩めて初期の乗り心地を上質でマイルドなものにしました。初期はマイルドですが、追い込んでいくとバネの硬さでしっかりしてくるしKPCが効くのでバネ上姿勢が安定する。軽快さが命ですが上質なまとまりにはできたと思います。
島崎:ピキピキしていなくて、しなやかで動きが連続的で気持ちいいですよね。
梅津さん:そういう味わいが現代のスポーツカーの中でなかなかないと思います。モダンでありながら、かつてのスポーツカーが持っていた軽量でしなやかな乗り味が実現できた、非常に希有なポジショニングじゃないかなと思っています。
島崎:どうもありがとうございました。
(写真:島崎七生人)
※記事の内容は2021年2月時点の情報で制作しています。